正月四日。
今年の旅は、昨年11月に行った『広野町』から再び始まる。
そこに気になっていた場所があった。
それは、帰り際に川向こうに見えた鳥居。
川を渡る橋は流され、工事中で渡る事はできなかった。
回り道をすれば行けただろうが、帰りの電車の時刻が迫る上、雨も降ったり止んだりで寒かったので行く事をあきらめていた。
階段を上がると、
『松本稲荷』
そう名が記されていた。
後でネットで調べて分かったが、以前はこのように海に向かってむき出しではなく、周りを木が囲んでいたようだ。
瓦が落ちた跡があるようだったが、少し高い場所であった事から、流される事はなかったのかもしれない。
この先もここで見守っていてもらえるだろうか・・・?
神社から北へ進むと、常磐線を跨がる橋がある。
錆びたレール。
この先には『木戸』駅がある。
当初の計画としては、国道6号線(陸前浜街道)を北に進み、現在は双葉警察署の臨時庁舎となっている『道の駅ならは』、そこから右折して木戸駅、さらに少し東へ行き、海岸まで歩くつもりでいた。
広野駅から木戸駅まで5、6kmほど。
帰りの電車は午後2時36分。往復できない事はないのだろうが、かなり急ぐ事になってしまう。
次の午後4時51分ならばかなりゆっくり回れるが、陽が落ちてだいぶ暗くなってしまうだろう。そして、今回はもう一カ所どうしても行きたい場所があったので、木戸駅まで歩くプランは断念した。
断念した理由は時間の問題だけでは無い。
避難指示解除準備区域(自由に立ち入り可能、宿泊禁止)とはなったものの、その分治安が悪化する。
今回の解除準備の前から、ATMなどが破壊されていたようだ。おそらくジュースの自販機なども破壊されたに違いない。
当然、住居なども荒らされる。
そういった住民の不安に答えるためにも、『道の駅ならは』を双葉警察署の臨時庁舎としたようだ。
ヒゲ面の男一人、リュック背負って今のこの状況の中を歩けば、当然職務質問はされるであろう。
まあ、風体が怪しくなくても関係は無いのだろうが・・・。
わざわざ住民の不安を増加させても意味が無いので、木戸駅までのプランは断念とした。
ネット上で倒壊した家屋などを載せているサイト、Blog等があるが、空き巣に情報を渡す事にもなりかねない。
悲惨さを伝えたいつもりが、逆に悪用されてしまうのであれば悲しすぎる。
むやみに載せない方が良いだろう。
悪用に転じる心がある事自体に非常に憤りを感じる。
さて、木戸駅までの道のりは断念したが、それだと時間が余り過ぎてしまう。
そこで、『道の駅ならは』よりもずっと手前にある、『二ツ沼総合公園』まで行き、公園内を一回りしてから広野駅に戻るプランとした。
入り口からは、園内に復旧工事を行う建設会社のプレハブの事務所などが立ち並んでいるのが見えた。最初はここに仮設住宅を作ったのかと見間違えてしまった。
駐車場には自家用車などが多く停まっていた事もあって、もしかしたら園内はそれなりに客が来ているのかもしれないと思ったが、どうやら工事関係者の車だったようだ。
少し奥に進んだ小高い場所に風車が見える。おそらくこの公園のシンボルなのだろう。
風車近くまで上がってみるが、誰もいない。
階段を上がり、辺りを見回す。
海がよく見えるのかと思っていたのだが、残念ながらちょこっとしか見えない。
反対側に回ると、山が見える。
中央の“きれいな三角形”が『五社山(ごしゃやま)』だろうか。
風が強く、とにかく寒い!
風車から降りて、もう少し歩いてみる。
『パークゴルフ場』が風車の足下に広がっているが、ここも誰もいない。
公園中心の『ふるさと広野館』は人がいるようだが、休館だったようだ。
公園の散策を終わりにして、少し早いが広野駅に戻る事にした。
戻る途中、園内には桜の木が結構あるようだった。
まだまだ固いつぼみで、春は遠いと感じさせられる。
でも、このつぼみが開く頃にまた訪れてみたい。
国道に戻り、広野駅を目指す。
途中道の脇に花壇があり、まだ遠くない過去に花が植えられたようだった。
これから春になり、もっとたくさんの花が見られるようになるだろう。
駅も近くなってきたが、やはりまだだいぶ時間が余ってしまったので、再び松本稲荷に向かう事にした。
しばらく休憩させていただく事にしたけれど、やはり風は強くて寒い。
午後2時を回った頃、ゆるゆると駅へ向かった。
ホームから前回歩いた駅の南側を眺めたが、さすがに2ヶ月弱程度では何も変わってはいない。
電車がやってきて、折り返しのため一旦ドアを全部閉めるのだが、寒かったのでそのタイミングで乗ってしまった。ゴメンナサイ。
広野駅が車窓から見えなくなり、次の場所を目指す。
降りた場所は、『久ノ浜(ひさのはま)』駅。
まずは東側の沿岸を目指す。
横断歩道を渡り、住居の一角を過ぎた場所に広がるのは・・・。
がれきは片付けられ、土台だけとなった家々の跡。
「行ってきます。」「行ってらっしゃい。」
「ただいま。」「おかえりなさい。」
幾度もその門をくぐり、そう繰り返しただろう。
防波堤には供養のための卒塔婆が立てられている。
線香を持ってきたものの、風が強すぎて火が点けられない。
仕方がないので、線香を置くだけとなってしまった。
阪神・淡路大震災、新潟県中越地震・・・
そのどちらもテレビで観ていた。
そう、『観ていた』のだ。テレビの『向こうの景色』、『外側にいた者』として・・・。
今回の東日本大震災により、東京都内でも交通機関の停止などで軽いパニックは起きた。
でも、それもほどなく回復へ向かった。
ニュースなどで報道される事もだいぶ少なくなった。
でも、まだ時折起きる地震。その時表示される町の名前に目が釘付けになる。
今日の最後の目的地、それは久ノ浜駅の西側にある久之浜第一小学校。
その敷地内に作られた、『浜風商店街』だ。
『からすや食堂』。
ラーメンと餃子を注文して、食べる。美味しい!
ここで店主、そしてお客さんから色々話を聞く事ができた。
元々は先ほど行った沿岸部にあったお店をここで再開した事。
津波が来る前に、“海から水が無くなり”、その30分後に“黒い波”が押し寄せた事。
沿岸部には多くのボランティアによりがれきを片付けられた事。
自治体によって対応がバラバラである事。
インフラの復旧に手間取り過ぎた事。
支援に頼りすぎて、避難先から住民が戻らないという事。
テレビで天気予報とともに、放射線量も報じている事。
そしてちょっとそれを楽しんで(?)観ていた事(笑)
・・・そして彼らが強く生きているという事・・・!
もっと話を聞いていたかったが、そろそろ帰らなければならない時間となった。
商店街を出る頃にはすっかり陽が暮れて、真っ暗。
久ノ浜駅に戻り、いわき行きに乗る。
そしていわきから特急で上野まで戻る。
窓から見えたスカイツリーの灯り。
高層ビルの群れ。
見慣れた場所へと戻る。
さっきまで久ノ浜にいた事が夢のようだ。
今回も利用した、『スーパーひたち』。
上野から電車でたった2時間ちょっとで福島の地へ連れて行ってくれる。
電車に乗る事が好きなら、それを理由に行ってみたって良いと思う。
ボランティアなどの『団体』に参加しなくても、できる事がある。
『ここに来る』事だ。
もし、いわきまで来る事があれば、もう少しだけ足を伸ばしてここに訪れてみて欲しい。
そして、話に耳を傾けて欲しい。
春になったら、花が咲いたら、また行きます。
浜風商店街 – 久之浜町商工会