7年が経つという意味を…。
《2018年3月11日(日)》
前日は浪江町でのボランティア活動、11日の朝はいわき駅から富岡駅へ。
富岡駅では報道陣が集まっていました。
富岡町は昨年4月1日に居住制限区域及び避難指示解除準備区域が解除、同年10月21日に富岡駅が営業再開しました。ただし、帰還困難区域は現時点では変わらない状況です。
そういう状況で富岡町は3月11日を迎えました。
双葉警察署の裏手、富岡川との間にある岡内東児童公園。
そこにある慰霊碑を訪れ、花束を供えていると、消防団の方たちが集まり始め、これから行方不明者の捜索に向かうための号令が始まりました。
富岡駅に戻ると、テレビ中継の真っ最中。
電車に乗り、久ノ浜駅で降りる。
ふと電車を見ると、案外人が乗っていたけれど、久ノ浜で降りたのは2、3人ほど。
その少なさにちょっと心配になったけれど、横断歩道を渡って東地区が見えると、防潮堤や神社の周り、昨年できた商業施設『浜風きらら』に人がたくさん集まっていたので一安心。
この日の久之浜はどんより曇り空。少し雨がぱらついて寒い。
『からすや』さんで昼食をとろうとは思ったけれど、混んでいる事は分かっていたので、先にちょっと献花台の場所などを確認しに歩き回る。
どうやら今年は防潮堤では焼香台などは置かれないようでした。
1年ぶりに会う久之浜の人たち。相双地区でのボランティア活動で月に何度かこちらに来てはいるけれど、久之浜に寄って行くのはいつも平日なので、すれ違いばかり。でも、元気そうで何より。
『からすや』さんで昼食をとった後は、花束を持って焼香台の近くへ。
お寺からお坊さんたちがやって来た。
午後2時46分、サイレンが響き渡る。
7年という時が経ってしまった。
浪江町ではボランティア活動中に辺りを見回すと、人が戻って来ている様子は無く、家は傾いたまま、数回は戻ってきたかもしれないが、壁は崩れ、ガラスも割れ、最早住むことなど不可能な状態のままになっているお宅なども多い。
帰還困難区域内にある家々は、まだまだ手付かずのまま…。
避難している方々を早く帰還させようとしているけれども、そんなに無理矢理にしなくても良いじゃないか、と思う。
無理矢理帰還させて“復興”とは言えない…。
ボランティア活動では、町に帰還するだけでなく、土地を手放すためのお手伝いとなる事も多い。
悲しい事だけれども、その人にとって前に進む事の一歩となるのなら、少しでも手伝い続けたい。
陽が傾き始める頃、からすやさんに行くと、早めの閉店をして皆でお茶を飲んでいました。
これからお店の前の駐車場に竹灯りを並べます。
完全に日が落ちると、神社はライトアップされてとても派手に。
昨年まではこの時間になれば人はいなくなるけれど、この日は多くの人がずっと集まっていました。
竹筒に火を灯して、しめやかに祈りを捧げる。
竹灯りは住職の手作り。
7年前のこの夜は、津波が襲い全てを攫って火災なども起こり、余震も起こり続けていた…。
明けて欲しくなかった、夜…。
8年目を迎えたこの日、東京に戻ると、いつものように電車の中は人であふれ、大抵の人たちがスマートフォンの画面だけを見つめ、周りなど気にせずにしている。
自分の事ばかりを考えず、少しでも想いを馳せてもらえたのかな…?
2018年3月11日(日)
(了)
◆ Google フォト
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