駅は緑の中、静かに眠っていた―――。
少し涼しい朝の
最近になって、ようやく避難指示の解除を9月5日に行うことが正式に決定された。
以前歩いた道を再び進む。
住宅がなくなり、更地となった場所がいくつか見受けられた。
再建をあきらめたのか、それとももう一度同じ場所で始めるのか、それは僕には分からない。
富岡町に入る。
福島第二原子力発電所を右手に森の中を進む。
立派なヤマユリが花を咲かせていた。
『ぼらぐち商店』を過ぎる。
常磐線の踏切を超えると、ひまわりが植えられ、咲いていた。
国道6号線の歩道は半年前の除染後、再びつる草に覆われてしまっていた。
人が歩かない場所は、あっという間にこんな事になってしまう。
坂を下り、交差点を曲がって双葉警察署の前を通る。
途中、二階部分にあった看板がごっそり落ちてしまったままの店舗があった。
富岡川沿いに出る。
手に持つ放射線測定器の数値は、町に入った時から上昇を始め、場所によっては2マイクロシーベルトを超えた。じっとしているわけではないので、厳密に測ればもっと超えてしまうだろう。
風の音、セミの鳴き声。
すれ違う人は誰もいない。
時折、車がやってくるが、常磐道を下りて6号線に入るためだろう。
町内の放送がかかる。
なんと熊の目撃情報があったというのだ。確かに西へ進めば山の自然は豊かだけれど、まさか熊がいるとは…。思わぬところで富岡町の自然の豊かさを知った。
竜田駅から現在約11km。常磐線の跨線橋に着いた。
北へ、南へ向かう線路は錆びて、周りの植物が覆いかぶさるように茂っていた。
常磐線の西側の道を北に進む。
田畑にはフレコンバッグが積み重なっている。
少し遠くにある住宅は崩れている様子は見えない。比較的新し目の建築なので、崩壊は免れていたのかもしれない。
再び跨線橋があり、ここから北を望む。
少し先に駅舎が見える。
ここが今回の目的地、『夜ノ森』駅だ。
もう少し進む。
樹齢を重ねた桜の木が続く。枝が一部、あるいは根本から切り倒されたものもあるようだ。
谷状の下を覗くと、駅名の看板とベンチが見えた。
この駅の両側はツツジが植えられ、それが有名だったそうで、春の満開時には特急列車が速度を落として見せてくれていたとか。
だが、駅もツツジも手入れされる事はなく、周りの緑とともに埋もれ、静かに眠りについていた。
駅の入口は線路の東側にあり、西側には無い。
そして、駅自体『帰還困難区域』の中にあり、立ち入る事はできない。
この西側の位置が境界の場所となっているわけだ。
ここから直線距離で約7kmの先に、“彼の地”がある…。
常磐線の駅から駅へ、北へ向かう旅はここが終着点。
大野、双葉の駅は帰還困難区域内、浪江は2013年の再編により、立ち入りは可能となった。
以前、宮城県の
現在は本数は一日二便と少ないが、原ノ町駅から竜田駅までをJRの代行バスが走り、かろうじて常磐線は品川から仙台を結んだ事となった。
先ほどの跨線橋に戻り、線路の右側に渡る。
夜ノ森駅の東側は、桜が有名で、いくつかある通りがどれも長大な桜並木となっている。
だが、その大部分が帰還困難区域内にあり、そこかしこにバリケードが建てられいる。
大きな通りに出る。
思わず息をのんだ。
緑の季節とはいえ、春の桜の満開時を想像するだけで感動で体が震えてくる。
もうここまで歩いてくる事はないかもしれないが、別の形で春の夜ノ森をぜひとも見てみたい。
長時間の滞在はできないので、この場を去り、再び来た道を戻る。
富岡町から楢葉町へ。
朝は曇りがちで涼しかったが、昼には晴れて暑くなってきた。
往復約24km、舗装された道路とはいえ、アップダウンもあり、つる草などで歩行困難な場所などでもあった事で、だいぶ足が痛くなってきた。
行きにみかけた神社で少し休憩をとらせてもらい、ラストスパート。
井手川に出ればゴールの竜田駅はもうすぐ。
まだ列車の到着時間には時間があるので、
境内は風が気持ち良い。
来月の避難指示解除後、神社にも人がやってきて、夏祭りなども行われるようになるのだろうか?もしそうなるのなら、またここに訪れたい。
そんな事を想像しながら、列車に乗った。
帰る先は久ノ浜駅、そして浜風商店街。
『からすや』さんのチャーハン大盛りと餃子で遅めの昼食兼夕飯!
ごちそうさま!
2015.8.9
(了)
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