広野駅【福島県双葉郡広野町大字下浅見川字築地】

広野駅

上野からやってくる常磐線の現時点での終着駅—。


上野駅08:00発、『スーパーひたち7号』。
長い区間を時速130Kmを超す速さで駆け抜ける。

先月歩いた、日立の道、そして高萩を過ぎる。
天気が良い事もあって、太平洋側の海は水平線がはっきりと見える。
でも、相変わらず波は高いようだった。
『いわき』駅には10:22に到着。
常磐線の特急全ては、ここが終着駅となる。

いわき駅から広野駅までは各停で30分ほど。
だが、その広野行きの本数も極端に少なく、時間帯によっては4時間待つ場合もある。
2つ手前の『久ノ浜(ひさのはま)』駅行きであれば、1~2時間内に1本は設定されている。

11:00発の広野行きに乗る。
さすがに乗客は少ない。
『草野』駅から『四ツ倉』駅に向かう途中、偶然虹を見ることができた。
虹なんて何年ぶりに見ただろうか・・・。

でも、虹を見ることができる、という事は雨がついさっきまで降っていた事になる。
今日の天気は晴れ、という事だったのだが・・・。
11:24、『広野』駅に到着。
広野駅は、現在このように仮設のホームが作られている。
そしてここが上野からやってくる常磐線の終着駅となっている。

常磐線は現在、
上野ーいわき、いわきー広野、原ノ町ー相馬、亘理ー仙台
と分断された形で運行している。
途中の区間は、警戒区域として立ち入り禁止、及び津波による駅流失により駅そのものが完全に機能を失った場所さえもある。
仙台方面を見ると、雑草が刈られないままとなっているのが奥に見える。
僕の他にも、カメラを持った、おそらくは広野に住んでいるわけではないだろう人が数名いたが、以降会う事は無かったので、ここからタクシーにでも乗ってどこかを目指したのだろうか?
駅前には商店街はあるが、閉まっている店がほとんど。
それでも、人の気配はある。
少し高台になっている場所には、中学校がある。自宅に戻ってからその学校のホームページがある事を知ったので見てみると、これから期末テストが始まるようだ。

でも少し前の状況(Blog)を見ると、いわきより南にある学校で授業を行っていて、やっとこの広野に帰ってくることができたようだ。

2011年5月から始まるそのBlogを読むと、子供達、先生達の頑張る姿が分かる。

さて、広野駅を少し南下した所に踏切があり、海側に向かう道がある。
当たり前だが、はっきりと『道』である場所を選んで進む。
そして海岸に出る。
と、雨が降り出した。雲行きは怪しかったが、ここで降られるとは・・・。

防風林が残っているが、雨宿りできるような場所では無かった。
そうこうしている内に、雨は止んだ。
堤防は崩れ、至る所にその残骸がある。
消波ブロックもおそらく互いがぶつかった事でボロボロになったのだろう。
堤防の内側にある歩道は修復中。
日立の沿岸を歩いた時もそうだったが、風はなくても波が荒い。
その波が修復中の道の土嚢を削ってしまう・・・。
北に進むと、川があり橋が架かっているが、工事中。
川の向こうに神社が見えていたが、橋を渡るわけにはいかないので、元来た方角に戻る事にした。
駅の南側は田畑が広がっている。
それほど時間が経っていない頃に草を刈り取った様子だが、塩害によりおそらくずっと休耕したままだ。
ここも瓦礫で埋まっていたのかもしれない。
北を見る。
向こうに見える煙突は、火力発電所のものだ。
南を見る。
道がずっと続いているようにも見えるが、ところどころ寸断されていて、工事中だ。
電車の本数が少ない事もあって、滞在時間は1時間ほどに計画していた。
駅員の人達に話を聞きたかったが、その余裕は取れなかった。
そして、いわき行きの電車に乗る。
帰りの車窓から見えた海は天候が回復してきた事もあって、エメラルドグリーンとなって美しい。
広野駅からの乗客は2、3名ほどだったが、途中の駅からは近隣の住民で少しだけ増えた。
いわき駅に到着。
行きは広野までの乗車券を購入していたので、外に出られなかったが、遅めの昼食も兼ねて駅前を散策。
いわき駅は沿岸からは離れているので、被害の様子は見えない。
人も、車も多い。街路樹は紅葉している。

30分ほどしか離れていないあの場所からとは別世界とも思える。
1時間ほど待ち、再び特急に乗り、上野に戻る。

先週から引いている風邪がまだ少し残っている。
帰りの特急では、飲んだ風邪薬が効いたのか眠気が強くなり、外の景色をほとんど見ることも無く帰路についた。

今回広野に向かったのは、先月日立を歩いた事から、もっと先に行きたいという気持ちもあったから、というのもあるのだが、それ以上に1年半以上『テレビの“向こう側”の世界』で傍観者のままでいたくない、忘れたくない、という事が大きかった。

実際、この目で見て、手で触れて、感じる。
そして考える。それが必要なのだと。

ボランティア活動をしてきたわけではないけれど、僕なりに『今』を伝えられたら、と思う。

もしまた広野より先に行けることができるようになったら、あの駅をスタート地点にして歩いてみたい。
(了)