久之浜【福島県いわき市久之浜町久之浜東町】



午後2時46分。

サイレンが鳴り響く。

今から1時間とかからずに

この立っている場所を黒い波が襲った。



平日という事もあり、通勤ラッシュに巻き込まれて前日に用意した花束を潰されては嫌なので、少し早めに家を出た。
だがその心配はなく、上野、そして三たび常磐線の特急に乗る。
席は埋まっていたが、そのほとんどが水戸駅で降りてしまったので、それ以降いわき駅まではガラガラだった。


『その時間』まではまだ時間があるので、今回も『広野』まで向かう。
時間があるとは言っても、1時間も無いのでまた『松本稲荷』まで行き、そこでコンビニのサンドイッチを食べる事にした。




雲はほとんど無く、良い天気。
前回からひと月ちょっと、初めて来たときから4ヶ月程度しか経っていないので、付近の様子は特に変わっている事はないように感じられた。
だが、駅から歩いてここまで来る途中、火力発電所の方を見ると、大型のクレーン車が見えた。
前回発電所への道を通った時に、そこに『仮置き場』が用意されつつあったので、本格的に動き出したのだろう。

良い天気なのだが、風が強く気温も低い。
前日の東京は夏日となり、僕自身も半袖で外を歩いていたくらいなのに・・・。

海はどこまでも青く、キラキラ光っていて奇麗。


さて、そろそろ広野駅に戻ろう。
寄っていきたい場所がこの神社の近くにあるのだが、さすがに1本電車を逃すと1時間以上待つ事になるのでまた今度来た時にしよう。

が、忘れていた事がある。
来る途中、一つ手前の『末続(すえつぎ)』駅に到着した時に、強風によりビニールか何かが架線に引っかかったという事で、遅れが出ていたのだった。
10分とかからずに動き出したが、それによって滞在時間が減ってしまったので、逃したくなかった列車に乗り遅れてしまった・・・。

駅にはタクシーは来てくれるので、電話をして呼ぶ事にした。
高くついてしまったけれど、おかげで道路状況は知る事ができた。
いつか国道6号線を歩く場合、歩道などがあるか知りたかったのでちょうど良かったのだ。
でも、列車に乗っていても分かってはいたが、このあたりはトンネルが連続するので、車をよけて歩くのは少々危ないのかも。

運転手に、久ノ浜駅方面ではなく、木戸駅(楢葉)方面について聞いてみたが、良く知らないのかどうかはわからないが、あまり参考にはならなかった。

久之浜の海岸が見えると、駅もすぐだ。
横断歩道を渡り、東町へ。



まだ時間はあるが、人がすでに集まっていた。
中央の神社周辺には、献花式に来る人たちのために花が用意されていたり、暖かいコーヒーを配ったりしてくれていた。
報道関係の方も数名おり、質問をされたが花を東京から持ってきた事に少し驚いたようだった。
献花式用に現地で花は用意されているだろう事は分かっていたけれど、やはり今自分の住む『東京』という場所から持っていきたかったのだ。

その報道の方に、広野より先、『木戸(きど)駅』がどうなってるかを聞いてみたところ、実際に行ったという事だった。

木戸駅は広野町の隣の『楢葉町(ならはまち)』にある。常磐線は『広野町(ひろのまち)』の広野駅で現在は終着駅となっていて、全ての列車がそこを折り返して行く。

楢葉町は2012年8月10日からは避難指示解除準備区域(自由に立ち入り可能、宿泊禁止)に移行となったが、それ以前から空き巣被害などが多かったという。
それに伴い、双葉警察署が『道の駅ならは』を臨時庁舎として使うことになった。
より巡回活動を増やし、住民を安心させようとしてくれている所を、いくら今の状況を知りたいからと言ってもむやみに立ち入る事は気が引けた。

1月に広野町に来た時は、できれば木戸駅まで越前浜街道(国道6号線)を歩いて行きたかった所を断念していたが、暖かくなった頃に行ってみたい。
『道の駅ならは』を経由するつもりではいたので、一旦警察に寄って情報を得て行くのが良いのだろう。
それで少し先の海を眺める事ができるようになるかもしれない・・・。

話は前日に戻るが、自宅の最寄り駅の広場には『福島フードライブ』という移動型ミニアンテナショップがやってきていた。

以前にも来ていて、東京の各所でも見られるのだが、聞いてみると南相馬にある養護学校の生徒たちの手作り品という事だった。

おこわを買って後で自宅で食べてみたら、もっちもちで美味い!
しまった。写真撮っておけば良かった・・・。

福島フードライブ
http://ginzanouen.jp/fukushimafoodrive/

販売している方が持っていた花に気づき、明日久之浜まで行くのだと言ったらやはり驚かれたが、それほど実際に行く人は少ないのだろうか。
もっとも、今日は平日だから行きにくいのもあるか。ならば代表として、と言ったら大ゲサだけどそういうつもりでもいよう。

献花式の行われる場所には、各地から訪れた人々のメッセージが布に書かれ、建てられていた。
こうしてたくさんの人たちが久之浜に想いをよせている・・・!

しばらくすると、遠くからお経を読み、何か叩きながらやってくる白装束の集団。
焼香台が用意され、献花式が始まった。

そして午後2時46分。
サイレンが鳴り響いた。
日本の各地で響いたのだろう。

人々が祈る。
様々な想いを込めて―。


もう何も怖い事はありません。
どうか、どうか・・・。

置いてゆかないで。
明日目覚めたら、あの人の所に。

どこをほっつき歩いているの?
早く帰ってきておいで。

お帰り。
ただいま。

じゃあね。
またあした。


持ってきた花束は2つ。
一つはここ久之浜、もう一つはここから北の地へ向けて・・・。

今から1時間とかからずに
この立っている場所を黒い波が襲ったという。
人も、家も流され、火災が起きた。

今現在こうして土台だけを残した姿となり、がれきが無くなっているのは、自衛隊や多くのボランティアの人たちのおかげだ。

再び白装束の集団は戻って行き、献花式は終わった。
しばらくは、だいぶ人が残っていたが、そのうちまばらとなっていった。

4時近くとなり、帰りの時間も考えて移動開始。
駅へ向かい、線路を渡るり、小学校のある場所へ向かう。


『浜風商店街』が賑やかになっている。
どうやら地元のテレビ、ラジオ局なども来ていたようだ。

『からすや食堂』でチャーシュー麺と餃子を食べていると、外では兵庫県高砂市のゆるキャラ『ぼっくりん』が来ていたり、ちょっとしたコンサートが開かれたりした。
土日はもしかしたらもっと賑やかになっていたのかもしれない。

前回よりも時間ができたので、もう少しゆっくり見ていきたかったが、それでもあっという間に時間が経ってしまった。
コンサートは、6時を過ぎてから公民館で行われるという事だったが、残念ながら東京へ帰る時間となってしまった。

駅に戻る。陽が延びた事もあって、駅の窓からは東地区が少しだけまだ見える。
名残惜しいが、木戸駅まで行く事ができる日にまたここに来よう。

3月のダイヤ改正から、常磐線の『亘理(わたり)』駅から南に一つ『浜吉田(はまよしだ)』駅までが運行再開となる。

東京から仙台に行き、そこから南下すれば行く事ができる。
新幹線だと高いが、その分早く着けるし日帰りもできそう。
そして亘理にも復興商店街があるので、そちらにもぜひ行ってみたい。

(了)