富岡駅【福島県双葉郡富岡町大字仏浜字釜田】



『駅が流される』
東京にいたら、そんな言葉も光景も想像はできない・・・。


今回は前日の夜からいわきに入り、ビジネスホテルに泊まった。
駅の真ん前にあるようなホテルは一週間近く前でも予約は取れなかったが、少しだけ離れた場所だった―と言っても3分程度だが―ので無事一夜を過ごす事ができた。
そういえば、布団下にヒーターがあるのはさすがに寒くなる場所なんだなあ、と感じさせられた。

いわき駅05:07発広野行きに乗る。

広野駅には5時半に到着。
朝日がまぶしい。
東京にいるとあまり感じる事ができない『朝の空気』を久しぶりに感じる。


駅前の商店街を抜けて、ますは『道の駅ならは』を目指す。
道の駅とは言っても、現在は休館中で、双葉警察署の臨時庁舎として使用されている。

『二ツ沼総合公園』を過ぎる。
あの風車はずっと動かないままなのかな・・・。

そしてここからが今回の旅のスタート地点。
陸前浜街道(国道6号線)をえんえんと歩き、富岡駅を目指すのだ。

『Jヴィレッジ』入り口。
震災以降原発事故収束のための中継基地として、東京電力が使用している事はニュースや報道番組等でもよく取り上げられている。
見学できるかどうかは分からないけれど、おそらく無理かな。

東京では桜はほとんど終わりだが、福島ではまだまだ咲き続けている。
陸前浜街道沿いの桜(があれば)を見る事も今回の目的の一つだ。

広野駅から約1時間で『道の駅ならは』に到着。

道路を挟んで反対側の池には水鳥達が羽を休めている。

道の駅を過ぎてすぐの交差点を右に行けば、『木戸』駅に行くことができる。
初めは、日帰り計画で木戸駅までにする事も考えたが、もっと先まで行きたかったので、まずはここも過ぎる事にする。


いきなりもの凄い量の黒い袋が。
ここまで運ぶのも大変な労力だろう。本当にお疲れ様・・・。

黒い袋はともかく、広い田畑の向こうに山々が見えて美しい。

木戸川を越える。きれいな水だ。ここは鮭が産卵で登って来るそうだ。

楢葉町役場付近にて。


富岡町に入った。
この画像の左側にある空き地にはパトカーが待機していた。ここに来るまでに何台ものパトカーが過ぎて行った。
絶対にどこかしらで職質は受けるだろうと思っていたのだが、結局最後までそれは無かった。
楢葉町は昨年8月から避難指示解除準備区域に再編成され、富岡町も3月25日から放射線量に応じて三つの区域に再編された事もあってか、パトカーの往来は多くても、職質するかどうかの対応も変わってきたのだろう。
職質受けたら受けたで、ついでに近辺の生の状況を知る事も聞けるかもしれないから、それはそれで良かったのだが。

それにしても、いまだに“野良牛”との衝突が多いのだろうか・・・?


第二原子力発電所を過ぎる。

道の駅から1時間45分。
ここまでで、ずっと歩道を通り続けているが、それでも途中で歩道は無くなって、細い路肩を行かなくてはならなかったり、何度も道路を渡って反対側の歩道に移ったりしてきた。
交通量は意外と多いが、一般車両よりも事業用が多いのは無理も無い。一見路線バスのように見えても実はそうではなかったり、観光バスかと思えば、作業員を運ぶためのものだったりして、この地元の生活感を感じるものは無かった。
そういえばバス停というものを全く見かけなかったが、元々通らないのかな?
バイクなどのツーリングする姿も全く見なかったなあ。もっとも、人とすれ違う事もなかったのだが。

下り坂を過ぎると、里山の風景が広がっていた。

山あいの道はともかく、平地でもあまり人が通らないためか、歩道は結構荒れている。

休憩所には、こんな案内板が。時間に余裕があれば、もっともっとたくさん見たいし、知りたい!
あと一山越えれば、富岡駅へ向かう道の交差点だ。

仏浜の交差点。この見えている反対側の坂を下ると富岡駅だ。

そして荒れ果てた商店街の先に、『富岡』駅が・・・。




























これが駅の姿だなんて、とても思えない。

2年以上経った今でも、それこそ“刻を止めたままの姿”だ。
ただ、変わったのはがれきが少なくなり、雑草に埋もれた事だ。

“駅が流された”なんて、周りに海が無かった実家、そして今住んでいる東京では考えられなかった事だ。
相模湾、江ノ島を走る江ノ電は常磐線よりもさらに海沿いを走る電車だが、そういう話は聞いた事はなかった。

広野や久之浜ではがれきは片付けられていたが、辺りに車がひっくり返ったまま、という状態がそのままになっているとは・・・。

駅の向こうに広がるエメラルドグリーンの海があまりにも美しく、悲しい・・・。


先ほどの『仏浜』の交差点で6号線を再び北上し、『夜ノ森』まで行く事を考えていたのだが、だいぶ疲労があり、足も痛くなってきてしまった。交差点から1時間ちょっとのはずだが、往復すれば当然倍の時間となる。
まだこの先この痛みは強くなってくるであろう事は分かっているので、残念ながらここで広野に戻る事にした。
『夜ノ森』の桜並木をぜひとも見たかったが仕方ない。
もうシーズンは終わるだろうから、また来年チャレンジしてみようか。
その頃ならば、また警戒区域の編成も変わってくるだろう。





黒い袋が無く、畑が奇麗になっている場所がある。
広野町でも作付けが始まるという話は聞いていたので、この辺りもそうなのかもしれない。

そろそろ持って来た水が切れる。でも、広野町まではコンビニは無い。

途中、楢葉の学生だろうか、部活の練習なのか走って行く姿を見た。
彼らはどんな未来を進むのだろう?




常磐線の踏切を渡る。
富岡方面はすでにレールが見えなくなってしまっている。


休止中の『木戸』駅。
一見これなら広野駅ではなくてここを終着点にすれば良さそうに思ってしまうが、後で聞いた事によると、波が押し寄せ浸水した事により地盤が緩んでいる事から、広野駅までとなっているそうだ。





かつては特急がここを通り、仙台を目指した。
こんな美しい景色を眺めながら鉄道の旅ができていたなんて、うらやましく思う。


ようやく広野へ戻って来た。コンビニに寄って、水分補給。
広野駅から富岡駅までは約15km、往復30kmとなった。
足の痛みがなければもっと遠くまで行けたが、これが限界なようだ。
ずっとアスファルトの道だと、結構つらい。でもこんな状況ではアスファルトの道だからこそ安心して先に進める。


広野駅で電車を待つ間にまた久ノ浜に行くか、さすがに今回はやめるか迷ったが、やはり『浜風商店街』に行きたくて、ここまでの乗車券を買った。

『浜風商店街』は今日もどこかからか団体がやってきていたようで、賑わっていた。
『からすや食堂』に行くと、顔を覚えていてもらえていたようで、嬉しかった!
以前にお会いした方とも偶然また会うことができた。
ここでまた笑顔を見ることができた・・・!

今回こそはゆっくりと商店街を見ていたかったが、足の痛みも考えて早めに帰る事にした。
商店街の一角の『久之浜ふれあい情報館』に顔を出すと、やはり顔を覚えていてもらえていて嬉しかったが、長居はできない。
一旦いわきに戻って、どこかまたホテルに泊まって明日ゆっくり来ようかとも考えたが、それはやめておいた。

この本は、『久之浜ふれあい情報館』で買ったもの。
事前にネット上で存在は知っていたので、ぜひとも欲しかったのだ。

2011年3月11日から、当時の状況、避難生活の日々、商店街オープンまでの道のり、訪れた人々、そしてこれからの事・・・。
テレビやニュースでは伝えられない、伝えきれない事がたくさん書かれている。

家に戻ってから、なんで一冊しか買わなかったのか後悔したが、それならまた行けば良いのだ!

今現在はネット上で販売はしていないようで、この本の発行所である

『特定非営利活動法人ふよう土2100』
http://npo-fuyodo2100.org/

浜風商店街」-ふるさと久之浜で生きる- 販売中です
B5判 80ページ 販売価格 1,000円+消費税(1,050円)

主販売取扱店:浜風商店街(0246-82-3131)
        古滝屋(0246-43-2191)

『浜風商店街』-ふるさと久之浜で生きるーに関する問い合わせは、fuyodo2100.shuppan@gmail.com あてにお願いします。

との事。(Blogより引用)

『古滝屋』というのは、いわき駅から二つ水戸方面に進んだ『湯本』駅近くにある旅館です。

福島県 いわき湯本温泉 古滝屋-公式ホームページ
http://www.furutakiya.com/


いわき産のイチゴ。
いわき駅ビルの土産品コーナーで買ったのだが、甘くて美味しい~!


後で知ったのだが、当日早朝、兵庫県淡路市で震度6弱の激しい揺れを観測する地震があった。

家屋の倒壊、地盤の液状化なども起きていたようだったが、意外なまでに報道は少ない。
皆が無事であれば良いのだが・・・。

あれ程の『痛み』を日本全国で感じたはずなのに・・・。

東京に戻ると本当に不思議な気持ちになる。
街に灯りはあふれ、人をよけながら歩く。
まるで何事も無かったかのよう。

テクノロジーは否定しないし、東京がこの状態を維持できる事が一つの責任でもあると思う。

東日本大震災で、被災地から避難して遠い場所で新たな生活をしている方々の中には「自分だけが逃げた」と罪悪感を感じている人達も多いようだ。
僕は東京に暮らしてあの時はちょっと不便になっただけで、今はもう普通の生活だ。
逃げているのは、僕たちの方ではないのか?『テレビの向こう側の景色』にしてしまっているのではないのか?
いくら復興を願っていても、自分の幸せが中心にあって、それ以外は二番目なのか・・・?

もどかしい。矛盾した気持ち。
だから少しでも、自分の目で見て、足で歩いて、手で触れて、知りたい。
(了)